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西国三十三箇所 第8番 「豊山神楽院 長谷寺」 [西国33箇所]

西国三十三箇所ツアー行ってきました!今回は梅田発8時10分発で阪急交通社のツアーです。
一番最初に行ったのは藤井寺市の葛井寺でした。これは依然3月に参加した神姫バスのツアーで行き
紹介してるので、長谷寺から紹介します!
8banhasedera.jpg

当日は朝から雨模様で大変でした!ずっと小止みなく降り続きせっかくのお詣りに水を注されてしまいました。
今回は5番 葛井寺、6番 壺阪寺、7番 岡寺、8番 長谷寺、番外 法起院の5ヶ寺でした。

番外の法起院さん以外はとても立派な由緒あるお寺でした特に今日紹介する長谷寺は牡丹でも有名なお寺でお詣りするとご覧のとおり立派な屋根付きの渡り石段や紫陽花の花等が有って、これは牡丹の時期に是非来てみたいと思いました!

さて長谷寺は、奈良県桜井市初瀬にある真言宗豊山派総本山の寺。山号を豊山神楽院と称する。本尊は十一面観音、開基は僧の道明とされる。西国三十三所観音霊場の第八番札所であり、日本でも有数の観音霊場として知られる寺紋は輪違い紋である。

大和と伊勢を結ぶ初瀬街道を見下ろす初瀬山の中腹に本堂が建って居ます。初瀬山は牡丹の名所であり、4月下旬~5月上旬は150種類以上、7,000株と言われる牡丹が満開になり、当寺は古くから「花の御寺」と称されている。

また『枕草子』『源氏物語』『更級日記』など多くの古典文学にも登場する。中でも『源氏物語』にある玉鬘の巻のエピソード中に登場する二本(ふたもと)の杉は現在も境内に残っている。

大和七福八宝めぐり(三輪明神、長谷寺、信貴山朝護孫子寺、當麻寺中之坊、安倍文殊院、おふさ観音、談山神社、久米寺)の一つに数えられる。

長谷寺の創建は奈良時代、8世紀前半と推定されるが、創建の詳しい時期や事情は不明である。寺伝によれば、天武朝の686年、僧の道明が初瀬山の西の丘に三重塔を建立、続いて727年、僧の徳道が東の丘(現在の本堂の地)に本尊十一面観音像を祀って開山したというが、これらのことについては正史に見えず、伝承の域を出ない。

847年12月21日に定額寺に列せられ、858年5月10日に三綱が置かれたことが記され、長谷寺もこの時期に官寺と認定されて別当が設置されたとみられている。なお、870年に諸寺の別当・三綱は太政官の解由の対象になることが定められ、長谷寺も他の官寺とともに朝廷の統制下に置かれた。

それを裏付けるように10世紀以後の長谷寺再建に際しては諸国に対しては国宛を、諸寺に対しては落慶供養参加を命じられるなど、国家的事業として位置づけられている。

長谷寺は平安時代中期以降、観音霊場として貴族の信仰を集めた。1024年には藤原道長が参詣しており、中世以降は武士や庶民にも信仰を広めた。

長谷寺は東大寺(華厳宗)の末寺であったが、平安時代中期には興福寺(法相宗)の末寺となり、16世紀以降は覚鑁(興教大師)によって興され僧正頼瑜により成道した新義真言宗の流れをくむ寺院となっている。

1588年、豊臣秀吉により根来山(根来寺)を追われた新義真言宗門徒が入山し、同派の僧正専誉により現在の真言宗豊山派が大成された。近年は、子弟教育・僧侶(教師)の育成に力を入れており、学問寺としての性格を強めている。

十一面観音を本尊とし「長谷寺」を名乗る寺院は鎌倉の長谷寺をはじめ日本各地に多く240寺程存在する。他と区別するため「大和国長谷寺」「総本山長谷寺」等と呼称することもある。
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西国三十三箇所 番外 「長谷寺開山堂 法起院」 [西国33箇所]

長谷寺にお詣りしましたが、実はこちらが先にお詣りした法起院です。
境内は本当にこじんまりとしてて俺たちのツアーが入りきれない程でした。
雨の中、軒先しか入るところが無く納経も雨に打たれながら唱えました。
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法起院は何処に?

8番札所の長谷寺の参道から少し入ったところにある法起院は西国霊場の中でもひときわ小さく、ひっそりとした趣があるお寺である。

法起院は、西国観音霊場の開基者といわれる徳道(とくどう)上人が開祖といわれている。徳道上人は、656年に播磨で生まれ、20歳頃に道明上人の弟子になり、聖武天皇の命を受けて後長谷寺という現在の長谷寺の基礎を築いた。

718年に病で仮死状態になった上人は、夢の中で閻魔大王に会い、苦しむ人々を救うかめ三十三観音霊場を作り広めるように告げられた。

上人は諸国を巡って三十三カ所の霊場を設けたが、人々に受け入れられることはなく、宝印は山中寺の石窟の中に納めた。

失意の上人はこの寺で余生を過ごし、松の木で自己像の法起菩薩を刻んで世を去ったといわれている。後に、花山(かざん)法皇が宝印を掘り起こし、上人の意志を継いで、西国観音霊場を復興した。このようなことから、法起院は徳道上人を祀り番外札所としている。
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西国三十三ヵ所 第1番 和歌山県「那智山 青岸渡寺」 [西国33箇所]

補陀洛や 岸うつ波は三熊野の 那智のお山にひびく滝つせ
西国33カ所としてあらためて見ると、パンフレットでは、青岸渡寺の創建は、仏教伝来以前に仁徳天皇の時代にインドから熊野に漂着した裸形上人が、那智大滝で滝修行中、滝壷から八寸(約24cm)の観音像を感得し、草堂をむすんでこれを安置したのが始まりと伝えられている。

7世紀頃に大和国から生仏という僧が来、およそ3mの如意輪観音の木像を彫り、裸形上人が得た観音像を胸に納めて本尊として、正式に本堂が建立されたという。本尊を如意輪観音とすることから如意輪堂という名も付けらたとされる。
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青岸渡寺のご本尊は、如意輪観音で、すべての人々に財宝を与える仏様である。人々のあらゆる願いを叶えてくれるという。そんなありがたい観音様なので参拝客が多いのかな。

西国33ヵ所霊場の第一番札所となるのは少し後の花山上皇の時代である。
ここ那智で1000日の修行を終えた花山上皇が、西国33ケ所観音霊場巡礼の旅に出て、各地で歌を詠み、それが御詠歌のはじまりであるらしい。

1000日の滝篭りをされた花山法皇が988年に御幸され西国33ヶ所観音巡り1番札所として定めたとされる。いつも参詣者が多い。ここ青岸渡寺織田信長の焼き討ちにあい、それを豊臣秀吉1590年に再建した桃山様式の建築で、南紀最古の建築物として重要文化財に指定されている。鎌倉時代の重文・宝篋印塔(4.3m)や梵鐘がある。

境内へは、急な階段を上っていく。運動不足だと少し堪える距離と勾配である。麓の土産物売り場には杖がたくさん置かれており、自由に使えるが、貸し出す店は帰りの土産を買ってもらうのを待っている。

階段の中途で、那智大社と青岸渡寺と別れる。また上で一緒になるのだが、参詣道は、一応別々である。
ここは時間が許すなら、少し下の大門坂を登ってお参りするといい。熊野古道の中辺路ルートの最終コースでもある。800年ほどたった夫婦杉がすばらしい。

青岸渡寺
住所    和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山8 

お泊りは此処からだと勝浦温泉が一番近いと思います!中でもホテル浦島は有名なホテルです。港から船で渡ることも出来ますが私達は車で行ってたので車で直接ホテルの駐車場まで行きました。
お風呂も7~8ヵ所有り温泉を満喫でき、おススメ出来る素晴らしい宿です。
ホテル外観全景
お部屋一例眺めのいい山上館和室太平洋が一望です。
宿自慢の有名な洞窟風呂の忘帰洞です
お料理一例



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